第26回:炭素税の役割(前編) 2003年5月5日(月)

「地球温暖化」という言葉を、ご存知ですね?石油や石炭などの化石燃料を大量に燃やすことによって発生する二酸化炭素などの地球温暖化ガスが、大気中に蓄積される結果、地球が次第に温暖化するという問題のことです。地球の温暖化は、二酸化炭素同化作用によって二酸化炭素を吸収する熱帯雨林が大量に伐採されることによっても促進され、この地球温暖化によって、将来気候が大きく変動して、農作物等に大きな被害が発生したり、海水面の上昇によって島や陸地が水没したりすることが予測されています。この地球温暖化現象は、いったん温暖化が進んで被害が発生してからでは取り返しがつかないという意味で、非可逆的現象であると言えます。そこで地球温暖化に対しては、予想される被害が明らかになる前に、予防措置を取ることが必要になります。

企業は、石炭や石油などの化石燃料をエネルギーとして利用して、財やサービスを生産します。この生産過程で、市場取引の対象となっていない二酸化炭素が発生し、それが地球を温暖化させて、地球規模で被害を発生させます。この場合、この企業から財を購入する企業や消費者は、二酸化炭素を取引しているわけではありません。さらに、企業が二酸化炭素を排出することによって被害を受ける人々は、この企業と取引をしていない人も含まれています。このように、ある活動の影響が市場取引を経由せずに各経済主体に及ぶとき、「外部性が発生している」といいます。今の例では、悪影響が生じているのでその外部性を「外部不経済」とか「外部不経済効果」といいます。

地球温暖化問題は、2つの意味で外部性の問題です。まず1つ目は、現在の世代の行動が、現在の市場取引に参加していない将来の世代に被害を与える可能性があります。これは、現在の世代の行動が将来の世代に外部不経済を与えるという、世代間の外部性の問題です。そして2つ目は、ある国の現在の世代の行動が、将来他の国の世代に被害を及ぼす可能性があります。これは、世代と国境を超えた外部性の問題です。現実の社会では、消費者もその経済行動を通じて二酸化炭素を排出しますが、ここでは単純化して企業だけがその活動を通じて二酸化炭素を排出するものとします。

上の図で、S0は短期供給曲線を示しています。また、D0は需要曲線です。二酸化炭素を自由に排出することができる場合の、完全競争市場における均衡点はE0です。しかし、外部不経済が存在する場合には、点E0は社会的に望ましい点にはなりません。なぜかというと、企業の生産活動に伴う二酸化炭素の排出によって地球が温暖化し、将来農作物に被害が発生したり、陸が水没したりするからです。この外部不経済の発生によって失われる価値を、「外部費用」といいます。財を生産する費用とは、財を生産しなかったならば得られた利益、すなわち機会費用のことです。よって、社会的に見ると、地球温暖化に伴う外部費用は、企業が財を生産するときの機会費用の一部になります。

さて、企業が生産量を追加的に1単位増やすときに外部不経済が発生する場合に、それによって失われる価値のことを「限界外部費用」といいます。この限界外部費用を負担しているのは、被害を被る地球全体の人々であって、財を生産している企業ではありません。企業が負担しているのは、上の図の供給曲線で示される限界費用です。そこで、この企業によって負担された限界費用を「私的限界費用」といいます。しかし、外部不経済が存在しているときには、生産量が限界的に1単位増えるとき、私的限界費用に加えて限界外部費用が発生します。私的限界費用に、限界外部費用を加えたものを、「社会的限界費用」といいます。

限界外部費用と社会的外部費用は、どのような形状を取るでしょうか?まず、財の生産量が増えるにつれて、二酸化炭素の排出量は増加しますが、排出量が少ない間は、大気の温度安定化機能が十分に働くので、限界外部費用は小さいと考えられます。しかし、二酸化炭素排出量がこの温度安定化機能を超えて増えるにつれて、限界外部費用は次第に大きくなるでしょう。したがってこの場合には、社会的限界費用曲線は上の図の曲線部分のような形状になるでしょう。曲線部分と、供給曲線S0との、縦軸方向の差が限界外部費用になります。上の図では、生産量が一定値を超えると、その生産に伴って発生する二酸化炭素排出量が大気の温度安定化機能を低下させるために外部不経済が発生し、私的限界費用と社会的限界費用との間に乖離が生ずる様子が描かれています。

完全競争市場の均衡点であるE0のもとでは、社会的限界費用は私的限界費用を青線の部分だけ上回っています。この青線は、均衡需給量における限界外部費用です。そして、均衡価格は私的限界費用に等しくなります(完全競争市場においては、価格=短期限界費用となるように価格が決定することを思い出してください)。したがって、均衡価格P0は社会的限界費用よりも限界外部費用分だけ低いことになります。このことは、この社会は、消費者たちの財に対する限界評価を上回る社会的限界費用をかけて、財を生産していることを意味しています。この場合、財の生産(消費)量を均衡需給量から限界的に1単位だけ減らせば、社会は一方で限界評価P0に相当する利益を失うものの、他方で社会的限界費用を節約することができます。したがって、財の生産(消費)量を限界的に1単位だけ減らすことによる社会的な利益の増加は、節約される社会的限界費用から失われる利益P0を差し引いた分になります。この社会的利益の増加を、「純限界利益」といいます。

社会的限界費用が消費者たちの限界評価を上回る限り、財の生産(消費)量を減らすことによる純限界利益は正の値を取ります。財の生産量をE1点まで減らすと、社会的限界費用は限界評価(つまり価格)に一致します。これよりさらに生産量を減らすと、社会的限界費用は限界評価をしたまわることになるので、純限界利益は負になります。したがって、社会にとって最も望ましい生産(消費)量はE1で与えられる生産量ということになります。

しかし、二酸化炭素を自由に排出することができる社会では、完全競争市場は利潤の最大化を目指して、私的限界費用が価格に等しくなるように生産量を決定し、生産量を決定する上で外部費用の存在を考慮しません。そのため、社会的な利益の最大化という観点から見て、生産と消費は過大になってしまいます。すなわち、外部不経済が存在すると、私的限界費用と社会的限界費用とが乖離するため、市場は社会的な利益の最大化という意味での効率的な資源配分に失敗するのです。

外部性の存在による市場の失敗を克服する1つの方法は、外部性を及ぼす主体とそれを受ける主体とを統合する方法です。例えば、川の上流の企業が汚水を川に垂れ流すため、下流でその川から取水して工業用水として利用している企業が被害を受けている場合を考えてみましょう。この例では、上流の企業が下流の企業に外部不経済を押し付けています。この場合、もし下流の企業が上流の企業と合併して、2つの企業を1企業に統合してしまえば、外部不経済を原因とする非効率な資源配分の問題は解決します。なぜなら、企業が統合する前には、下流の企業が被る被害は上流の企業にとって外部費用ですが、統合後は私的費用という企業内部の費用になるからです。これを、統合による外部性の内部化といいます。統合された企業は、川を汚染すると同じ企業の別の部門の私的費用が上昇するという事実を考慮して、川をどれだけ汚染するかを決定しようとするので、私的限界費用と社会的限界費用の乖離は消滅します。

しかし、地球温暖化問題は、上のような内部化で解決できる問題ではありません。なぜなら、外部不経済が地球規模で発生しているからです。上の図のような例で、生産(消費)量を社会的な利益が最大になるE1点まで減らす1つの方法は、二酸化炭素を排出する企業に対して、汚染課徴金を課すことです。上の図で、政府が財の生産量1単位について、社会的限界費用と需要曲線の交点E1における限界外部費用に等しい課徴金(この大きさをtとします)を課すとしましょう。このとき、供給曲線S0は上方にtだけシフトしてS1になります。これによってE0点で与えられる生産量を生産するときの私的限界費用はtだけ増加するので、この生産量における税込みの私的限界費用は価格P0を上回ります。そこで、各企業は生産量を削減します。各企業の利益が最大になるのは、税込みの私的限界費用と価格とが等しくなる点E1です。こうして、完全競争市場均衡は供給曲線S1と需要曲線D0との交点E1に移動します。このように汚染者である企業に対して、効率的な生産量における限界外部費用に等しい課徴金を課すと、均衡需給量を社会的に望ましい水準まで減らすことができます。

しかし、このような課徴金のかけ方は実は最適なかけ方ではありません。企業は省エネルギー技術を開発することにより、同じ生産量でも二酸化炭素の排出量を減らすことができます。この場合、生産量に比例してt円の課徴金を課すと、企業は二酸化炭素排出量を削減するような技術を採用しようとはしないでしょう。なぜなら、この課徴金制度のもとでは、企業は二酸化炭素排出量を削減しても課徴金の支払いを減らすことができないからです。次回は、この問題を克服する最適な課徴金制度について説明していきます♪

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