第28回:再説〜消費者余剰と生産者余剰〜 2003年5月18日(日)

今までの知識の泉の中で、「社会全体の利益」という言葉を何度か使いました。この言葉は、経済学の用語では「社会的厚生」といわれるもので、これは第5回の知識の泉で書いた「生産者余剰」と、第14回の知識の泉で書いた「消費者余剰」との和で定義されます。生産者余剰とは、簡単に言えば生産者(つまり供給側)の総利益となる部分であり、消費者余剰とは、これまた簡単に言えば消費者(つまり需要側)の総利益となる部分です。つまり、社会的厚生(社会的総余剰とも言いますが)とは、供給側の総利益と需要側の総利益の合計、すなわち社会全体の総利益となるわけです。効率的な市場とは、この社会的厚生が最大化されるような市場といえるでしょう。そこで、この社会的厚生に対する知識を深める前に、まずは生産者余剰と消費者余剰についての簡単なおさらいから始めましょう。

まず生産者余剰についてですが、ここで短期における企業の利潤の定義式を思い出してみましょう。企業の利潤とは、財を販売することによる総収入から、財の生産にかかった総費用を差し引いたものでしたね。つまり、

利潤(π)=総収入(TR)−総費用(TC) と表すことができました。

短期においては、費用は固定費用(FC)と可変費用(VC)に分かれましたね。固定費用とは、財の生産・非生産にかかわらず負担しなければならない費用を指し、可変費用とは、財の生産量に応じて変化する費用のことでした。総費用=固定費用+可変費用なので、

利潤(π)=総収入(TR)−{固定費用(FC)+可変費用(VC)} と書き直すことができます。

固定費用は生産量にかかわらず必ず負担する費用ですから、企業が生産量を変化させることによって、変化させることができるのは上式の右辺のうち、総収入と可変費用だけであって、固定費用は変化させることができません。したがって、利潤を最大にする生産量を決定するという問題は、総収入から可変費用を差し引いたものを最大にするという問題と同じになります。つまり、固定的生産要素の投入量を調整できない短期においては、生産量を調整することによって増減させることができない固定費用は、利潤の最大化に当たって無視すべきであるということです。この、総収入から可変費用を差し引いたものを、「生産者余剰」といいます。すなわち、

生産者余剰(PS)=総収入(TR)−可変費用(VC) です。

この式と、上の利潤の定義式から、以下のおなじみの(?)定義式が導き出されます。

生産者余剰(PS)=利潤(π)+固定費用(FC)

つまり、生産者余剰とは利潤と固定費用の和であり、短期における利潤最大化とは、この生産者余剰の最大化に一致します。

続いて、消費者余剰についてですが、ここでは第14回の知識の泉で考えた例をもとにもう一度、消費者余剰の定義をおさらいします。いま、ある人が映画館で映画を見るとき、入場料が2000円であればこの人は年に1度しか映画館に行かないが、入場料が低下すれば映画館に行く回数を増やし、1500円ならば年2回、1000円ならば年3回、500円まで下がれば年4回映画館に行くとしましょう。この考え方が今まで何度も紹介している「需要曲線」の意味なのですが、この需要曲線は次のような意味を持っていると考えることができます。すなわち、「この人は年に1回だけ映画館に行くならば最大限2000円まで払ってもよいと考えている」と解釈するのです。このとき、2000円を「映画を年に1回映画館で見るときの需要価格」といいます。この人は2回目については1500円、3回目については1000円、4回目については500円、それぞれ支払ってもよいと考えています。このように、各回数の需要価格は、限界的にもう1回映画を見るときの消費者の限界的な映画に対する評価を表しています。そこで、需要価格は消費者の「限界評価」ともいわれます。

上で述べたことから、1年間に映画を3回見るときは、1回目は2000円、2回目は1500円、3回目は1000円、それぞれ支払ってもよいと考えていると解釈できますから、合計4500円支払ってもよいことになります。この4500円は、彼が1年間に映画を3回見るときの効用の合計(総効用)を貨幣で表したものとみなすことができます。いま、映画館の入場料金が1000円であるとしましょう。彼は、映画を年3回見ることに対して、合計4500円支払ってもよいと思っていますが、実際には3000円(←入場料金1000円×3回=3000円)支払えばよいことになります。貨幣と交換に映画を見ることによって得られる総効用(4500円)から、その効用を得るための支出(3000円)を引いた差額の1500円は、映画を見ることの純利益であり、これを「消費者余剰」といいます。これは、消費者が貨幣と交換に映画を見るときの交換の利益を表すと考えられます。

ところで、彼が4回目の映画を見るにあたって、支払ってもよいと考える金額は500円です。映画館の入場料が1000円であれば、それは彼が4回目について支払ってもよいと考える500円よりも大きいです。したがって、彼は映画を年に4回見ようとはしません。3回目については、支払ってもよい金額と実際に支払わなければならない金額とが一致します。したがって、入場料金が1000円のときには、消費者は年に3回映画を映画館で見ようとするでしょう。このように考えると、次のような結論が得られます。すなわち、

「消費者が貨幣を支払って映画を見ることによって、消費者余剰という交換の利益を得ることができるのは、最終的な映画鑑賞である3回目についてのみ支払ってもよい金額を実際に支払えばよく、2回目までについては支払ってもよい金額よりも少ない金額で映画を見ることができるからである」。

以上が、簡単な生産者余剰と消費者余剰のおさらいでした。それでは、この生産者余剰と消費者余剰とは、いったい誰の利益になるのでしょう?まず、消費者余剰については、定義から一目瞭然、消費者の利益になりますね。それでは、生産者余剰とは誰の利益になるのでしょう?生産者余剰とは、総収入から可変的生産要素に対する支払い、すなわち可変費用を支払った残余です。企業の生産活動に投入された可変的生産要素以外の生産要素は、固定的生産要素です。したがって、この残余である生産者余剰とは、固定的生産要素の所有者に対して支払われることになります。すなわち、生産者余剰とは固定的生産要素の所有者に対して支払われる報酬となります。具体的にはどのような経済主体なのかというと、「実物資本の投資のために、資本を供給する貯蓄主体」を指すのですが、この辺の説明は難しいので、補説コーナーで解説できたらいいなと思っています。

以上のことから、ある市場においては、一方では消費者が貨幣と財(またはサービス)の交換から消費者余剰を得て、他方では財(サービス)の生産に貢献した固定的生産要素の所有者が生産者余剰を得ることになります。そして、この2つの余剰の総和を社会的厚生というわけです。経済学においては、この社会的厚生が最大となるときに、市場が効率的であるといいます。ここで「効率的」とは、単にできるだけ安い費用で生産しているということだけを意味するのではなくて、消費者余剰を含めた社会的厚生が最大になることを意味する点に注意が必要です。経済学以外で効率的という場合には、できるだけ安い費用で財(サービス)を生産することだけを意味するのが普通で、そこに社会的厚生の最大化という考え方はありません。市場が果たして経済学の意味で効率的かどうかという問題を、効率性の問題といいます。それに対して、社会的厚生が誰にどのように分配されることが公平かという問題を、分配の公平性といいます。分配の公平に関しては、どのような分配が公平であるかという点について、人々の考えはさまざまですが、分配の公平がどのようなものであれ、まず社会的厚生を最大にした上で、その後に税制や社会福祉制度を利用して分配の公平を図ることが合理的であると言えます。

以上を踏まえた上で、次回は効率性の問題について考えてみることにします♪

トップに戻る…