第35回:不確実性の回避〜株式会社のお話〜 2003年7月12日(土)

第17回の知識の泉で「保険」について書きましたが、保険とはそもそも、ひとりひとりの危険負担を軽くしたり、危険負担能力の大きな人が他の人に代わって危険を負担したりするといった、さまざまな制度の中の一つです。このような制度が整備されることによって初めて、不確実性に満ちた現実の市場経済システムは効率的に機能し得るようになるといえます。今回と次回は、このような危険分散制度の例として、「株式会社制度」と「先物市場」のお話をしてみようと思います。

まずは、最も単純な企業組織として個人企業を考え、経営上の危険がどのように負担されているかを見てみましょう。個人企業とは、ひとりの個人によって所有され、その個人によってすべてのことが決定される企業です。個人企業の所有者と経営者は同一人物で、「個人業主」と呼ばれます。個人企業の資金は、個人業主が過去に蓄積した資金と、知人や銀行などからの借入金とで調達されます。前者の資金を「自己資本」といい、後者を「負債」とか「他人資本」といいます。自己資本は返済されず、その供給者に対して何らの報酬も前もって保証されていませんが、負債に対しては利子の支払いと、満期が到来したときの元本の返済とが保証されています。

個人業主は、事業に資本を投入して得た全ての資産を利用しても負債を返済しきれない場合には、その不足分を自らの預金を取り崩したり、自分と家族が住んでいる自己所有の土地や家屋を売ったり、個人的に新たに負債を負ったりして返済しなければなりません。このとき、個人業主は負債に対して「無限責任を負う」といいます。個人業主が負債を支払いきれず、新しく借り入れることもできなくなれば、企業は倒産します。企業が倒産すれば、その従業員も仕事を失います。その意味では、個人企業の従業員も危険を負担しています。しかし、従業員は自分が所有している資産を売ってまで負債を返済する必要はないし、時間をかければ別の仕事を見つけることもできます。倒産によって失う金額は、個人業主のほうがその従業員よりもはるかに大きいでしょう。したがって、個人企業の経営上の危険のほとんどは、個人業主が負担しているといえます。

企業経営の危険が一個人の肩に全てかかる限り、個人企業の事業内容や規模は大きく制限されます。個人企業では、採算が取れるようになるまで長い時間がかかったり、革新的ではあるが不確実性の大きな事業を手がけることは、ほとんど不可能です。したがって、経済の発展・成長を担う主体としては、個人企業には限界があります。このような状況を打開したのが、「株式会社制度」の導入でした。株式会社は、株式を発行して資本を集めます。この資本は、企業によって返済されず、前もって何ら報酬も約束されないという意味で「自己資本」ですが、株式会社の自己資本は「株主資本」とも呼ばれます。

たとえば、株式会社を設立しようとしている人が、これから始めようとする事業の内容を投資家たちに公表して、総数5000株の株式を発行して資本を集めようとしています。投資家たちはその事業の将来性を評価して、1株を1000円で購入してもよいと考えたとすると、経営者は500万円(←1000円×5000株=5000000円)の資本を集めることができます。この場合、この株式の価格、すなわち「株価」は1000円です。株式には普通、額面価格が「1株50円」というように記載されていますが、これは額面価格であって実質的な意味は持っていません。意味があるのは、投資家たちの評価価格である「株価」の方です。

株式を購入した投資家は、「株主」と呼ばれます。株主は自分が所有している株式数の、発行済みの株式総数に対する比率に応じた会社の所有権を持ちます。例えば、上の例である投資家が1000株だけ株式を購入すれば、彼は発行済みの株式総数(5000株)の20%を所有することになるので、20%の所有権を持ちます。株主の所有権は「持分権」とも呼ばれ、発行済み株式総数に対する所有株式数の比率を「持分比率」といいます。持分権の中には、会社利益への参加権が含まれます。例えば、会社は事業活動から生じた利益の一部を株主に分配することがあります。この分配を「(株主)配当」といいます。持分比率が20%の株主は、会社の配当総額の20%を受け取る権利を持つのです。

株式会社は営業成績の如何にかかわらず、従業員には約束した賃金(←ただし、賞与は営業成績に依存します)を、負債の供給者に対しては約束した利子を、土地・建物サービスの供給者には約束した地代・家賃をそれぞれ支払わなければなりません。これらは売上高から原材料などの購入費を差し引いたものから支払われます。しかし、株主に対しては特定の金額を支払うという約束はありません。売上高から原材料費や賃金・利子・地代・家賃を差し引いた金額を、会計学上の「利潤」といいます。この利潤は経済学上の利潤とは異なりますが、この説明は補説に回すとして、企業はこの会計学上の利潤が正であれば、その一部を株主に配当することがあります。

しかし、配当は企業の成績が悪ければ減少したり、ときには1円も支払われないことがあります。また、たとえ成績がよくても、企業は会計学上の利潤の全てあるいは一部を株主に配当せず、実物資本や金融資産に投資して利益をあげようとします。この企業による投資の収益性が株式市場で高く評価されれば、株主は株価の上昇によって利益を得ます。株価上昇による利益を、「キャピタル・ゲイン」といいます。しかし、株式市場が企業の投資収益を高く評価しなければ、株価は逆に低下してしまい、株主は不利益を被ります。株価低下による損失を「キャピタル・ロス」といいます。

以上のように、株主の利益は「配当」と「キャピタル・ゲイン」の合計からなります。株価が下がってキャピタル・ロスが発生し、それが配当よりも大きければ、株主の利益は負になり、株主は損失を被ります。株主の利益または損失がどのようなものになるかは、将来の企業経営の成績を株式市場がどう評価するかに依存しています。このように、株主の利益は何ら約束されたものではなく、企業経営の善し悪しを反映して変動するわけです。この意味で、企業経営上の不確実性に伴う危険の多くは、株主によって負担されていることになります。しかし、株式会社制度では、株主の危険負担は次のような工夫によって、個人業主のそれに比べて大きく軽減されているのです。それは、以下の3点です。

@株式の分割による危険負担の分散
A株主の有限責任制
B株式の売却

まず@ですが、株式会社は必要な株主資本総額を、小口に分割して販売します。これによって、投資家は小口の投資が可能になります。個々の株主は、企業全体の危険のうち自分の持分比率分だけを負担すればよいのです。すなわち、株主会社制度は多くの株主の間に危険を分散することによって、個々の株主の危険負担を軽減することを可能にする制度なのです。続いてAですが、株主会社の株主は、会社の契約や負債に対しては個人的に責任を負うことはありません。株価はゼロになることがありえるので、株主は株式の購入に投じた金額の全てを失う危険を負担していますが、それ以上の危険を負担する必要はありません。すなわち、株主は個人業主と違って、企業の負債に対して自己所有の資産を売り払ってまで返済するという責任を負う必要はないのです。これを、株主の「有限責任制」といいます。最後にBですが、個人企業の場合は、企業に投資した資本を貨幣に換えるためには、企業全体を丸ごと買い取ってくれる企業を見つけ出さなければなりません。そのような企業を見つけ出すのは、一般的に言ってきわめて困難でしょう。それに対して、株主は貨幣が必要なときは、株式を売却して換金することができます。株式の売却を容易にするために株式取引所が設立され、一定の資格を持った株式はこの取引所で集中的に売買されて、価格が形成されます。株式を他人に売却できるということは、他人に企業経営上の危険負担を肩代わりしてもらう道が開けるということです。これにより、株主は企業に投資した資本をその企業に固定せずに、個人企業に比べて容易に貨幣に換えることができるようになるのです。以上の3つの制度によって、資本の供給者が企業経営の危険を負担することは、個人企業の場合に比べてはるかに容易になり、危険の多い事業に大量の資金を動員することが可能になったのです。

以上、株式会社制度が法的に認められることによって、危険負担を多くの人々の間に分散することが可能になったことを説明しましたが、多くの株式会社が設立されるにつれて、投資家たちは複数の株式会社の株式に少しずつ投資することによって、危険を分散することができるようになりました。なぜなら、ある株式会社の利益が悪化しても、他の株式会社の利益は悪化しなかったり向上したりすれば、投資家は複数の銘柄の株式に分散投資することによって、平均的な株式投資の利益をより安定的なものにすることができるからです。しかし、株式投資には最小単位が設定されているので、小口の資金しか持たない多くの個人が分散投資できる範囲は限られています。さらに、株式を売買するためには証券会社に手数料を支払わなければなりませんが、小口の株式の売買手数料は大口のそれに比べて割高になります。そこで、個人から小口の資金を集めて大口にして、その大口資金をさまざまな株式に分散投資する生命保険や信託銀行や投資信託委託会社などの、「機関投資家」が登場します。個人はこうした機関投資家を通じて株式に投資することによって、自らが株式に投資するよりも安定した所得を確保できるようになります。したがって、こうした機関投資家も、企業活動に伴う危険負担を多くの人々の間に分散することを可能にすることによって、企業の設備投資や研究・開発投資を促進する機能を果たしているのです。

次回は、先物市場のお話です。

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