第21回:インフレーションV〜インフレ需要とインフレ供給〜 2003年3月30日(日)

前々回の知識の泉で、総需要と総供給についてお話をしました。ここで、総供給関数がどのような形だったかというと、物価水準をP、予想物価水準をPe、完全雇用GNPをYFとすれば、

P=Pe+α(Y−YF) で表されました。(ただし、α>0)

上式の両辺から、前期に実現した物価水準(P-1とします)を引いてみましょう。

P−P-1=Pe−P-1+α(Y−YF

(P−P-1)は、今期の物価水準から前期の物価水準を差し引いたものですから、今期における物価の上昇、つまりインフレーションの度合いを表します。また、(Pe−P-1)は前期に実現したインフレ率と今期の予想物価水準との差、つまり「期待インフレ率」と考えることができます。インフレ率をπ、期待インフレ率をπeで表すとすれば、上の式は

π=πe+α(Y−YF) と書きなおすことができます。

この式を、インフレ供給関数といいます。インフレ供給関数によると、現実のインフレ率(π)は、期待インフレ率の水準が大きいほど、そして財市場における需給ギャップ(つまり、総需要と完全雇用GNPの差)が大きいほど、高くなることがわかります。また、需給ギャップに対するインフレ率の反応度が高いほど、αの値は大きくなります。

さて、前回の知識の泉にて紹介したフィリップス曲線というのを覚えていますか?名目賃金率をw、失業率をuで表すときに、

(Δw/w)=−φ(u−uN) と表されました。(ただし、φ>0)

物価版フィリップス曲線は、名目賃金の上昇率を物価水準の変化率に置き換えたものですから、それは

π=−φ(u−uN) と書くことができます。

この式をみると、「失業率をuNの水準よりさらに下げようとすれば、必ずインフレーションを覚悟しなければならない(つまり、π>0)」ということがわかります。これはかなり衝撃的な発見ではないかと思います。しかし、今日ではフィリップス曲線は安定的ではなく、時とともにシフトすることが知られるようになり、インフレーションと失業がトレード・オフ関係にあるとしても、それは短期的なものであると考えられるようになっています。つまり、フィリップス曲線はインフレ期待が変わるときにはシフトすると考えるのが合理的だという考え方が、今日では支配的となっているのです。この「期待」という考え方は、マクロ経済学において最も重要なファクターのひとつですが、なぜ期待インフレ率が変わるとフィリップス曲線はシフトするのでしょう?

これは、労働者が本当に関心を持っているのは貨幣タームで表現される賃金(名目賃金)ではなく、購買力を示す実質賃金だからです。今、失業率がuNの水準にあるとして、かつ人々が10%の物価上昇を予想しています(πe=10)。この場合、現行の賃金のままで今期の賃上げが行われないとすると、実質賃金は10%下がることになるので、労働者は賃金改定交渉にあたって、もとの実質賃金を維持するために少なくとも10%の賃上げを要求するでしょう。企業のほうも、物価水準が10%上昇すると予想される状況のもとでは、自己の製品価格を10%値上げすることは、その競争力を相対的に悪化させないという観点から可能だと判断するので、10%の賃上げ要求を比較的簡単に受け入れると思われます。その結果、実際の物価水準も10%上昇するでしょう。

10%の賃上げが実現し、物価もそれに見合って10%上昇するなら、実質賃金は変化しないので、労働者は前期と同じだけの労働供給をしつづけると思われます。つまり、期待インフレ率の分だけフィリップス曲線が上方にシフトしていることが、労働市場の均衡を維持するために必要ということになります。よって、労働市場が均衡するときには、期待インフレ率と実際のインフレ率が一致する(つまり、π=πe)ことがわかります。労働市場が超過需要(u<uN)の状態にある場合は、期待インフレ率に相当する賃金引き上げだけでは実質賃金は変化せず、労働市場の超過需要の状態が賃金決定に反映されないことになります。したがって、このときには名目賃金は予想物価上昇率の10%より高い伸び率を示すと考える必要があります。逆に労働市場が超過供給(u>uN)の状態ならば、名目賃金の伸び率は予想物価上昇率よりも低い伸びしか実現しないでしょう。

要するに、物価上昇率がπeであると期待(予想)されるときには、フィリップス曲線は「期待」が考慮されていない場合に比べて、πeだけ上方にシフトして、かつもとのフィリップス曲線と同じ右下がりの傾きを持っているだろうということです。このことから、「期待」を考慮したフィリップス曲線は、

π=πe−φ(u−uN) という式で表されることになります。

さて、インフレ供給曲線と、上のフィリップス曲線の式を見比べてみると

α(Y−YF)=−φ(u−uN

が成立しますが、これは労働市場の需給関係と財市場の需給関係の間の逆相関の関係として知られている有名な関係で、「オークンの法則」といいます。オークンの法則とは、「労働市場と財市場が密接に連動しており、財市場で物がよく売れるときには労働市場の需給も逼迫しており、逆に財市場で不景気なときには労働需給も緩み、失業率が高くなる」というものです。

続いて、インフレ需要について考えましょう。もはやお気づきとは思いますが、物価上昇率(つまりインフレ率)は、インフレ需要曲線とインフレ供給曲線が交わるところで決定します。インフレ需要曲線は、総需要曲線のシフトから導出できますが、そもそも総需要曲線とは、財市場と貨幣市場を同時に均衡させるような物価水準と国民所得の関係です。この点は、前々回の知識の泉でも説明が不十分だったと思うので、機会を改めて説明したいと思います。さて、総需要曲線がシフトする要因として、以下の3つがあります。

@実質マネーサプライ(M/P)が増加する
A政府支出(G)が増加する
B期待インフレ率(πe)が上昇する

上記の@〜Bの場合に、いずれも総需要曲線は右にシフトすることがわかっています。そして、そのシフトの度合いはそれぞれの変化率が大きいほど、大きくなるはずです。実質マネーサプライの増加分については、名目マネーサプライの増加率(ΔM/M…以下、mで表します)と物価上昇率(π)の差で表されます。また、政府支出の増加とインフレ期待の上昇率をそれぞれΔG、Δπeで表せば、

ΔY=β(m−π)+γΔG+θΔπe と書くことができるでしょう。

ただし、上式においてβは、実質マネーサプライの増加がどれだけGNPを増加させるかを示す「通貨乗数」、γは政府支出増加がどれだけGNPを増加させるかを示す「政府支出乗数」です。また、θはインフレ期待が総需要をどれだけ増やすかを示すもので、θ>0です。ここで、ΔY=Y−Y-1(Y-1は、前期に実現したGNP)ですから、上の式はさらにこう書きなおせます。

Y=Y-1+β(m−π)+γΔG+θΔπe

上式が、インフレ需要曲線です。Y-1は前期に実現したGNP、つまり先決変数なので、今期の総需要政策としては、実質マネーサプライの増加率と政府支出の増加率を動かすこと、そして人々のインフレ心理を変えさせることということになります。このうち、政策当局が実質マネーサプライの伸び率そのものを動かすことは、物価上昇率が民間経済主体の行動によって決まる以上、困難ですから、政策当局がコントロールできるのは実質マネーサプライではなく、名目マネーサプライの増加率および政府支出の増加ということになります。今、政策当局がmとΔGを一定に保っており、最後の項も無視する(θ=0と考える)ならば、インフレ需要曲線はその式から明らかなように、右下がりの曲線となります。また、マネーサプライの増加率および政府支出の増加率を増やすことによって、インフレ需要曲線は上方にシフトします。さらに、前期に実現したGNPの水準(Y-1)が大きいほど、インフレ需要曲線は右にシフトします。

以上、導き出されたインフレ需要曲線とインフレ供給曲線が交わるところで、インフレ率が決定するわけですが、あくまでこのように求められたインフレ率は「短期的」なものです。これが長期均衡を達成するまでのプロセスについては、次回に説明したいと思います。

※インフレ率…今回、インフレ率を(P−P-1)と定義しましたが、厳密にはこれは誤りで、厳密には今期実現した物価上昇を前期の物価水準で割ったもの、{(P−P-1)/P-1}です。かなり数学っぽい話ですが、そもそも総供給関数を初めから対数で定義していれば、対数で定義された物価水準(logP)を時間tで微分すると、

{d(logP)/dt}=P´/P (ただし、P´=dP/dt)

となるので、この手の問題は起こらなかったはずなのです。そして、総供給関数に出てくる物価水準を対数で定義することにはまったく問題はなくて、もし初めからそうしていたならば、それに対応してαの値を変えればいいだけです。このような理由から、(P−P-1)をインフレ率と呼ぶことはそれほど重大な問題にはなりません(同じことが、期待インフレ率についても言えます)。

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