第20回:インフレーションU〜賃金率と失業率〜 2003年3月23日(日)

さて、前回の知識の泉では、物価水準の決定要因となる総需要と総供給について考えました。今回は、これまたインフレーションの話に非常に関係が深い、失業率について考えてみたいと思います。そもそも、マクロ経済で考える「市場」には大きく3種類あって、ひとつはおなじみ、モノを取り扱う「財市場」。二つ目は、第1回や第15回の知識の泉で取り上げた「貨幣市場」(債券市場)。最後のひとつが、今回のお話の主役となる「労働市場」です。労働市場とは何か?というと、その名のとおり「労働力」を取り扱う市場です。企業が財を生産したり、サービスを提供したりするためには、その生産要素として労働力が必要です。そこで企業は、労働力を需要することになります。供給された労働に対して、企業が支払う報酬を賃金といいます。なんとなく予想はつくと思いますが、賃金が高ければ多くの労働供給を得ることができるし、逆に賃金が低ければ労働供給は少なくなります。簡単に言えば、我々がバイトするにしろ社員として勤めるにしろ、給料の高いところで働きたいと思うのとほぼ同じ理屈です。

このとおり、労働市場においても需要と供給の関係があるので、労働市場の「均衡」も存在します。労働市場が均衡に達するということは、働きたいと思っている労働者全てが雇用され、企業側から見ても雇用したい労働者を全て雇用できる状態が実現しているということです。このような状態を「完全雇用」といいます。労働市場の需給を決定する要因は、上の例からわかるとおり「賃金」です。金額単位で表される賃金のことを「名目賃金率」といいます。

ここでひとつ考えてみましょう。今、みなさんがある企業に勤めているとして、名目賃金率が10%上昇したとします。このとき、この企業に対する労働供給はどう変化すると思いますか?単純に賃金が10%上がったのだから、労働供給は増えるのでは…と思うのですが、実は一概にはそうは言えません。もし仮に、名目賃金が10%上昇したと共に物価水準も10%上昇したとすると、賃金あたりの実質的な購買力はまったく変化しません。すると、労働供給も以前と同じ水準が保たれると考えられます。このように、ただ単純に「労働市場均衡のカギを握るのは『賃金』である」というのは厳密には誤りで、「労働市場均衡のカギを握るのは『実質賃金』である」と言い換えるべきです。実質賃金とは、名目賃金率を物価水準で割った値で定義されます。つまり、名目賃金率をw、物価水準をPとして

実質賃金率=w/P と定義するわけです。

さて、この実質賃金率がどのように決定されるか?ということですが、これは「実質賃金は労働の限界生産物に等しい」という公準があります。ここで、労働の限界生産物とは、追加的な労働1単位あたりの生産量のことです。労働投入量をN、生産量をYとするならば、これは(ΔY/ΔN)で表すことができます。これは、横軸に労働投入量、縦軸に産出量をとった平面上に描かれる総生産曲線の接線の傾きと等しくなります。基本的に生産関数は、労働投入量が増えるにしたがってその生産高の増分は逓減するので、労働の限界生産物曲線は右下がりの曲線になります。また、このような生産技術を「労働に対して収穫逓減」といいます。この場合では、Nを増やすにしたがって労働の限界生産物は小さくなります。今、仮に雇用量がN0で、実質賃金率が(w/P)0であるとします。このとき、企業が雇用量を1単位減らしたとします。この場合、N-1番目の労働を投入した場合の労働の限界生産物は現行の実質賃金率を上回っているので、雇用を増やすことで企業は利潤を増やすことができます。逆にN0単位から1単位労働投入量を増やせば、N1番目の労働者の限界生産物は現行の実質賃金率を下回っているので、雇用を減らすことで企業は利潤を増やすことができるわけです。このことより、実質賃金率は労働の限界生産物に等しい水準で決定されるのです。

今度は逆に、労働供給側に立って考えます。労働の供給量を、我々はどのように決定するでしょう?これも実は公準がありまして、「労働の供給は、人々の労働に対する限界不効用が実質賃金率に等しいところで決定される」というものです。難しく見えますが、要するに、労働はレジャー(余暇)に比べれば苦痛であって、その苦痛の程度は労働時間が長くなればなるほど大きくなると考えられますね。ここで、労働の限界不効用とは、追加的な労働供給1単位がもたらす不効用の度合いを表します(効用・不効用については、第7回・第17回の知識の泉参照♪)。これはつまり、労働者が効用を最大にしようとする限り、労働の限界不効用が実質賃金率に等しくなるまで労働供給が行われるということを表しています。なぜそうなるかについては、上で説明した実質賃金決定の原理とほとんど同じです。

以上2つの公準から、労働需要曲線と労働供給曲線が導き出されます(前者の公準が需要曲線、後者の公準が供給曲線)。そして、労働需要曲線と労働供給曲線が交わる点で、労働市場は均衡します。両曲線の交点で与えられる生産量YFを、「完全雇用GNP」といいます。完全雇用GNPが達成される実質賃金率においては、労働市場が均衡に達しているために失業者は存在しないのですが、最低賃金法の存在などが要因となって、現行の実質賃金率が完全雇用を達成する実質賃金率よりも高い水準で決定されることがあります(このように賃金率が社会的に望ましい水準まで低下しないことを、「賃金率が下方に硬直的である」ともいいます)。賃金率が下方に硬直的な状況では、労働の超過供給が発生しているため、失業者が存在することになります。ただし、この場合の失業者には、「現行の賃金率で働きたい」という意志があることに注意が必要です。現行の賃金率で働きたいと思っているのに働くことができない人を、「非自発的失業者」といいます。そして、労働力人口(15歳以上の、働く意志を持った人口)に占める、非自発的失業者の割合を、完全失業率といいます。

さて、賃金率の変化が労働市場の需給関係に影響を与えることから、賃金率と失業率にもやはり関係があると考えられますよね。名目賃金率(実質賃金率ではないことに注意)の上昇率と失業率との間にある関係を図示した曲線を「フィリップス曲線」といいます。フィリップス曲線は、失業とインフレーションの間のトレード・オフ関係をあらわすもので、失業率が高ければ高いほど、名目賃金率の上昇は緩やかになることを示しています。現行のマーケット・メカニズムにおいて決定される実質賃金率のもとで生じる失業率のことを「自然失業率」といいますが、これをuNで表すと、uNよりも低い失業率のもとでは、労働に対する需要が供給を上回り、賃金は上昇すると考えられます。逆に失業率がuNを上回っている状況では供給が需要を上回り、賃金が下がり始めると考えられます。失業率がuNに等しい水準ならば、労働の需給は均衡しているので賃金は変化しないということになります。さらに、労働の需給ギャップが大きければ大きいほど、賃金の変化率も大きくなると考えられるので、フィリップス曲線は右下がりの曲線となります。名目賃金率をw、失業率をuとすると、フィリップス曲線は

(Δw/w)=−φ(u−uN) で表せます。 (ただし、φ>0)

ところで、賃金が変化すれば、当然、製品の価格がその影響を受けて変化するでしょう。企業がコストに一定の利潤を上乗せして価格をつけるとすれば(これを「マーク・アップ原理」といいます)、賃金が労働市場の需給ギャップを反映して変化すると、製品価格も同率で変化するでしょう。これより、上のフィリップス曲線を表す関数の左辺を物価水準の変化率(ΔP/P)で置き換えても、これと同様の曲線が描けることになります。この曲線を「物価版フィリップス曲線」といいます。

前回・今回の話を踏まえて、次回はインフレ需要とインフレ供給について書こうと思います。

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