第15回:補説Y〜貨幣市場の均衡〜 2003年2月9日(日)

まず初めに、前回の知識の泉にて「次回は規模の経済について書く」と明言したにもかかわらず、今回急遽記事の内容を予告なく変更したことをお詫び致します。規模の経済については、補説ではなく本説のコーナーで書くことにしまして、今回は「貨幣」のお話を少し書いてみようと思います。

現在、世の中に広く流通している貨幣ですが、みなさんは「何で貨幣が必要なのか」と考えたことはありますか?バブル経済の話を書いたときにも少しだけ触れたかと思いますが、貨幣の機能は2つあります。まずひとつが、交換を効率化する機能です。貨幣が存在しない場合、我々がある財を売買しようとするとき、それはすべて「物々交換」に頼ることになるのですが、これは想像以上に不便なものです。たとえば、ある人がパンを自分が消費する以上に所持していて、ぶどう酒を欲しているとしましょう。この場合、「パンが欲しい」と思っている人を探すのはそれほど難しくはないかもしれませんが、「パンが欲しい」と思っている人がみんなぶどう酒を売りたいと思っているとは限りません。むしろ、「ぶどう酒を売ってパンが欲しい」と思っている人は、数多くの財がある世界では非常にまれだと考えられます。よって、パンを売りたい人がパンとぶどう酒を交換できるチャンスはそれだけ減少します。

たとえ運良く彼がぶどう酒とパンを交換してもよいという人に出会えたとしても、パンとぶどう酒の交換条件が両者の間で一致する保証はありません。パンを売りぶどう酒を買いたい人が多数と、ぶどう酒を売りパンを買いたい人が多数同じ場所に集まることができれば、パンとぶどう酒の交換はある程度実現するでしょうが、1対1の取引では交換が実現するかどうか予測できません。物々交換の世界では、このような「欲望と偶然の一致」が二重に重なる必要がありますが、経済活動の基本である交換が二重の偶然によって支配されるようでは、市場経済の発展は到底望めないでしょう。このような不便を克服するために、貨幣を導入するわけです。貨幣を介した交換では、パンを売ってぶどう酒を手に入れたいという人は、さしあたり誰にでもパンを売って貨幣を手に入れればよく、その後にぶどう酒を売りたいという人を探して貨幣と交換すればよいわけです。この原始的な例によって明らかになることは、貨幣の基本的な機能の一つが交換を効率化することにあるということです。

貨幣の第2の機能は、富を貯蔵する手段となることです。たしかに貨幣は、株式やその他の債券のように利子を稼ぐことができないし、値上がりによるキャピタル・ゲインもありません。よって、取引のために必要な量を超えて貨幣を保有することはばかげていると思われるかもしれません。このような考え方は、世の中が天下太平であって、将来に何の不確実性もリスクもないという状態のときにはある程度当てはまります。そのような場合には、財産のすべてを何らかの便益を生む債券や財の購入に充てるべきでしょう。

しかし、現実の世界は不確実です。話を資産運用という点に限定したとしても、不確実性を示す例はいくらでもあります。将来が不確実である場合、財産のすべてを危険の伴う資産につぎ込むことが期待収益を最大にするかというと、必ずしもそうとは言えません。たとえば、貨幣が利子・配当などの収益を生み出すことができないとしても、貨幣以外の資産を保有することに伴う危険(将来に値下がりが見こまれる場合など)を考慮すれば、一時的に貨幣を保有するほうが有利であることはしばしばあります。昔から「財産三分法」という財産管理の定石があるのですが、賢明な投資家は、「資産は貨幣、債券や株式などの金融資産、土地に分けて持つのがよい」と教えています。ただし、ここでいう「三分」とは、貨幣・金融資産・土地をそれぞれ3分の1ずつ持つということではなく、たとえば債権の価格が充分低くなったと思われるときは債券保有の割合を増やし、逆に高くなったときにはその割合を減らすといったように、情勢の変化に応じて保有割合を変えるべきだと理解したほうがよいでしょう。いずれにせよ、将来が不確実な現実世界においては、貨幣も資産保有の有力な一手段であるといっても間違いありません。

以上で見たように、貨幣の機能は交換を効率よく行わしめる機能と、不確実な世界において危険を分散せしめる富貯蔵手段としての機能に分けることができます。貨幣に対する需要は、これらの貨幣の機能に付随して発生すると考えられます。第1の機能を達成するという目的で貨幣が需要される場合は「取引需要」にもとづく需要、または簡単に「取引需要」と呼びます。他方、第2の機能を達成するために需要される場合は「投機的動機」にもとづく需要、または簡単に「資産需要」と呼んでいます。

取引需要による貨幣需要の大きさは、ほぼ各人の所得水準に比例すると考えてよいでしょう。月収10万円のサラリーマンと月収100万円の会社社長とでは、常時ポケットに入っている現金にせよ、キャッシュカードで引き出せる要求払預金にせよ、その金額が同じであるということはないでしょう。むしろ平均的には会社社長の保有貨幣量はサラリーマンの約10倍と考えたほうが現実的です。経済全体でみた場合、取引動機による貨幣保有はほぼGNPの水準に比例すると考えられます。しかし、社債の利回りや郵貯の金利などが高くなると、現金を寝かせておくことによる機会費用が大きくなってくるので、取引の円滑さという利便を多少は犠牲にしても、取引需要にもとづく貨幣保有を以前よりも減らして、その分を債券購入や郵貯にまわすインセンティブが働くと思われます。したがって、取引需要が厳密な意味でGNPに比例的であるというのは明らかに言い過ぎで、利子率の高いときには比例分よりも多少減り、逆に利子率の低いときには比例分よりも多少増える傾向があるというべきでしょう。

続いて資産需要ですが、債券価格が充分高いときには、通常人々はいずれそれが安くなるのではないかという期待を持つでしょう。この場合、現行の高い値段で債券を買う必要はなくて、近い将来に安くなる見込みが強いのであれば、しばらく現金で保有していて、債券価格が安くなってから購入すればよいでしょう。たしかに現金は利息を生まないし、インフレーションが進行しているときには実質的な価値が下落します。しかし、債券価格が充分高くて、近い将来に、現金を保有することによって失われるこれらの機会費用を補って余りあるような価格下落があるならば、高いものを今購入するのは明らかに損失なのです。逆に、債券価格が充分安い、つまり近い将来に値上がりするだろうと思われる場合は、現金を保有することをなるべく避けたほうがいいということになります。この場合でも、将来の見とおしが100%確実でない限り、また人々が危険回避的な態度を取る限り、現金保有をゼロにすることは最適な資産選択であるとは言えません。ところで、債券価格が高いときは名目利子率が低く、逆に債券価格が低いときは名目利子率が高いということは、第1回の知識の泉で書きました。よって、貨幣の資産需要は名目利子率が高いほど小さく、名目利子率が低いほど大きくなると言えます。

貨幣の資産需要は、現在の市場利子率と将来時点で実現するであろう期待利子率が乖離するにつれて変動します。たとえば、現在の市場利子率が期待利子率を上回っているとすると、債券価格は現在安いと考えられます。これは、現行の利子率と債券価格の関係から明らかですね(第1回の知識の泉と合わせてご覧ください♪)。つまり、将来利子率が下がると期待されているので、債券の価格は将来高くなると期待できます。この場合、貨幣という形で資産を持っているよりも、債券を購入するほうが得策でしょう。どの程度の債券を購入すべきかは、各人の期待についての確信の度合いと、各人が危険に対してどのような態度をとるかの2点に依存して決まってきます。逆に、現行の利子率が期待利子率に比べて低い場合には、債券価格は高いと考えられますから、しばらく貨幣で持っていて、いずれ債券価格が下がったときに買うようにすべきでしょう。つまりこの場合、貨幣の資産需要は大きいと考えられます。

ところで、将来時点で実現するであろうと期待される利子率というのは、過去の経済の動きや経済構造に関する人々の知識に依存して決まってきますので、短期的に人々の期待はそれほど大きく動くことは(よほど大きな突発的な事件でも進行中でない限り)ないと思われます。期待利子率が固定的な短期間を取れば、人々は現行の市場利子率が低ければ低いほど貨幣の形で資産を保有する傾向が強くなると言えるでしょう。

以上の議論から、貨幣に対する需要は

L=L1(Y)+L2(r) と書くことができます。

ここで、L1は取引需要、L2は資産需要を表します。まず、所得Yが増えると、貨幣に対する取引需要が増えます。また、利子率rが上昇すれば債券需要が増え、貨幣の資産需要は減少します。ただし、ここで使っているrとは名目利子率である点が重要です。なぜなら、貨幣保有の機会費用は単に実質金利ではなく、物価上昇に伴う貨幣価値の目減りをも考慮しなければならないからです。名目利子率とは、普段我々が見聞きする利子率のことであり、実質利子率とは、名目利子率から期待物価上昇率(期待インフレ率)を差し引いたものです。つまり、

名目利子率=実質利子率+期待インフレ率 という関係があります。

さて、貨幣の需要量は上のLで表すことができることがわかりましたが、貨幣の供給量はどのように表すことができるでしょうか?貨幣の供給量を「マネーサプライ」といいます(厳密な定義については、一番最後で解説します)。名目マネーサプライをMとするとき、Mを物価水準Pで割った値のことを実質マネーサプライといいます。実質マネーサプライと実質貨幣需要が一致するところで貨幣市場は均衡に達するので、貨幣市場の均衡式は

M/P=L となるのです。

ところで、価格調整がすべて完了した「長期均衡」を問題にする限り、アウトプットYは労働市場において完全雇用を達成するように決定されていて、実質利子率iは財市場における貯蓄と投資の均衡によって決定されています。また期待インフレ率πeは中央銀行の金融政策や、これまでのインフレーションの実績トレンドなど、複雑な要因によって外生的に決まっているとみなすことができます。中央銀行はマネーサプライの管理をしているわけですが、中央銀行が直接的にコントロールできるのは名目マネーサプライであり、実質マネーサプライをコントロールするわけではありません。なぜなら、物価水準Pはシステム全体の相互作用の結果として決まってくるものであり、中央銀行が直接これを固定することは不可能だからです。今、中央銀行によってMが固定されているとすると、貨幣市場で決定されるのは何でしょう。r=i+πeを考慮すれば、上の貨幣市場の均衡式でMとYとrが先決変数として決定されているので、結局貨幣市場で決定されるのは物価水準Pだということになります。しかも、Yとrが一定である限り、貨幣需要Lが一定の値を取ることを考慮すれば、Pの水準は名目マネーサプライMと比例的に決定されることがわかります。このように、価格調整が完了した長期均衡を考える場合、あるいは価格の不均衡調整能力が高くて常に均衡が達成している状況を考える場合、貨幣市場のマクロ経済に与える影響はあくまで「名目的」なものにとどまり、実体経済には何ら影響はもたらさないということがわかります。貨幣量の大小が実体経済に(少なくとも価格調整が完了した長期においては)影響力を持たないとする考え方を、「マネタリズム」といいます。

とりあえず今回をもって補説コーナーはいったん終了。次回から本説に戻って…今度こそ規模の経済について書きます(笑)。

※マネーサプライ…本文では、中央銀行(日本の場合は、日本銀行です)が管理している貨幣の供給量という意味で使いましたが、厳密には流通している貨幣の量に加えて、預貯金の量をも含めて名目マネーサプライといいます。この名目マネーサプライを物価水準Pで割ったものが実質マネーサプライといわれます。

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