第17回:保険と効用〜危険回避的か危険愛好的か〜 2003年3月2日(日)

我々が生活しているこの世の中、いつ何時どんなことが起こるか予想できません…これはホントに当たり前の話ですよね。いつ、思わぬ怪我や病気を負うかもしれない、下手をすると命を落とすことすら…こういったときにお世話になるのが、保険です。今回はこの「保険」をテーマにしてみましょう。

今、コインを1枚投げて、表が出たら10000円得られるが、裏が出たら1000円支払わなければならないという、単純なゲームがあるとします。さて、みなさんはこのゲームに参加しようと思いますか?確率的に考えると、コインを1枚投げて表が出る確率は1/2、裏が出る確率も1/2です。よって、このゲームに参加することで得られる利得の期待値は、

E=(1/2)×10000+(1/2)×(-1000)=4500 円です。

この結果はつまり、このゲームを何度も繰り返すと、得られる利得の平均値は4500円に近づくことを意味しています。よって、人々は最大限4500円支払っても、このゲームに参加したいと考えるかもしれません。このように、ゲームに参加するためにゲームの期待値(4500円)に等しい金額を支払わなければならないゲームを、公正なゲームといいます。ところが、人々は一般に例のような公正なゲームに参加しようとはしないといわれます。おそらく、読んでくださってる皆さんも、このゲームには参加しようと思わないのではないですか?これは、不確実性が存在するとき、多くの人々は危険を回避しようとするからです。この場合、人々にとって重要なのは「利得」の期待値ではなくて、「効用」の期待値だと考えられます。

ここで、ある人の年間給与所得が100万円であるとして、次のようなゲームを考えます。

@コインを1枚投げ、表が出たら20万円得られるが、裏が出たら20万円支払う
Aコインを1枚投げ、表が出たら50万円得られるが、裏が出たら50万円支払う

どちらのゲームの参加料も0円である(つまり、この2つは公正なゲーム)として、この人がこれらのゲームに参加するかどうかを考えます。所得がy万円であるときのこの人の効用をU(y)とすると(効用については、第7回の知識の泉参照♪)、ゲーム@に参加した場合のこの人の期待効用U1は、

(1/2)×U(100+20)+(1/2)×U(100−20)=1/2{U(120)+U(80)} です。

次に、ゲームAに参加した場合のこの人の期待効用U2は、

(1/2)×U(100+50)+(1/2)×U(100−50)=1/2{U(150)+U(50)} です。

ゲーム@Aともに参加しない場合のこの人の期待効用U0はU(100)に等しい(ゲームに参加しなければ、年間給与所得100万円が確実だから)ので、もしU1やU2がU0よりも大きいならば、この人はゲーム@やゲームAに参加しようとするでしょう。逆に、U1やU2がU0よりも小さければ、この人はいずれのゲームにも参加しません。前者のような人を「危険愛好的」、後者のような人を「危険回避的」といいます。また、中にはU1・U2・U0のいずれも無差別だという人もいるでしょう。このような人を「危険中立的」といいます。

任意の所得水準yから、所得がΔyだけ増加したときに、効用がΔUだけ増加するとき、ΔU/Δyを所得の限界効用といいます。危険回避的な人の場合、所得の限界効用は所得が増えるにつれて逓減します。このことから、公正なゲームに参加しようとしない人の所得の限界効用は、所得が増加するにつれて逓減することがわかります。このような人は、所得の期待値が同じであっても、所得の変動がより小さいほうを好みます。所得は、ゲーム@では100万円を基準に上下20万円変動し、ゲームAでは100万円を基準に上下50万円変動します。ゲームに参加しなければ所得は確実に100万円で、まったく変動しません。どれも所得の期待値は100万円ですが、所得の限界効用が逓減する人は、所得の増加から得られる限界効用の増加よりも、所得の減少による限界効用の低下の方が大きくなります。そのため、所得の期待値が同じであれば確実な所得をより好み、所得が不確実である場合には変動が少ない方をより好むことになるのです。

以上を踏まえて、危険回避的な人を想定して以下のような問題を考えてみましょう…ある人の翌年の給与所得を500万円とし、彼は翌年に確率1/2で病気にかかり、健康保険のきかない入院治療のための出費が年間200万円であると予想しているとします。したがって、彼は翌年の所得を確率1/2で500万円、確率1/2で300万円になると予想しています。今、入院した場合に医療費を支払ってくれる入院保険が売りに出されているとしましょう。このとき、彼はどのような入院保険であったら保険に加入しようとするでしょうか?

この人の翌年の期待効用U1は、所得500万円と300万円がいずれも1/2の確率で得られると考えているので、

U1=1/2{U(500)+U(300)} です。

今、1年間100万円の保険料を支払えば、入院したときに200万円支払ってくれる入院保険があるとします。もし彼がこの保険に加入すると、翌年彼が入院しなければ彼の所得は500万円ですが、保険料として100万円支払わなければならないので、最終的な所得は400万円になります。他方、入院した場合は、入院保険料と入院治療費を支払うので所得は200万円ですが、保険会社から200万円支払われるので、合計で400万円になります。このように、この入院保険に加入することで、入院してもしなくても彼の所得は400万円に確定します。したがって、彼はこの保険に加入しようとするでしょう。なぜなら、保険に加入することで、所得の変動に伴う危険を完全に回避できるからです(加入すれば所得は400万円で確定することに注意してください)。

この保険を、最初に考えたゲームの例に当てはめると、確率1/2で入院しないときには保険会社から1円も支払ってもらえないが、確率1/2で入院すると200万円保険会社から支払ってもらえるので、ゲームの期待値は

E=(1/2)×0+(1/2)×200=100 万円です。

このゲームに参加する(すなわち、保険に加入する)ために、被保険者はゲームの期待値に等しい100万円の参加料(すなわち、保険加入料)を支払わなければならない。よって、このゲームは公正なゲームです。そこで、この保険を「公正な保険」といいます。このとき、保険会社の収入の期待値は、「(保険料)−(ゲームの期待値)」ですから、ゼロになります。しかし、保険会社は保険事業を営む上でさまざまな費用がかかるので、収入の期待値が0であるような公正な保険を販売することはできません。それでは、保険会社はどこまで保険料を引き上げることができるでしょうか?

今問題にしている人が入院保険に加入しないときの期待効用は上のU1ですから、期待効用がU1をごくわずかでも上回るような保険であれば、彼はその保険に加入しようとするでしょう。以下の図をご覧ください。

曲線uは、彼の所得に対する効用を示すもので、効用曲線といわれます。上の図のU1は、保険に加入しなかった場合の彼の期待効用U1に相当し、U2は保険に加入した場合の彼の効用に相当します。上記のような保険では保険会社の収入期待値が0になるため、保険会社としては被保険者が保険に加入した際の期待効用がごくわずかでもU1を上回り、かつ収入の期待値が正であるような保険を販売します。そこで、曲線u上で効用U1をもたらす所得総額は、上の図では370万円なので、保険加入後の期待所得が370万円で確定するような保険を販売しようとするでしょう。それは、保険加入料が130万円で、入院した際には200万円支払うような保険です。この保険に彼が加入すれば、入院しなかった場合の翌年所得は500−130=370万円、入院した場合の翌年所得は500−130−200+200=370万円となります。この保険の保険料は、公正な保険の保険料に比べて30万円多いです(つまり、保険会社の収入の期待値は30万円)。この30万円を「保険プレミアム」といいます。

この保険プレミアムは、保険に加入しなかったときの期待所得400万円と、保険に加入したときの確実な所得370万円との差と同じです。保険料が公正な保険の保険料を保険プレミアムだけ上回る場合には、被保険者にとって保険に加入するか加入しないかは無差別になります。しかし、保険料が保険プレミアムを超えて上回る場合は、保険に加入するとかえって期待効用が低下するので、保険に加入しようとはしません。逆に、実際の保険料と公正な保険の保険料との差が保険プレミアムよりも小さければ、保険に加入しようとします。このとおり、危険回避的な人は保険料が保険プレミアムをわずかでも下回れば、所得の安定を確保しようとして、保険に加入しようとするのです。

もっとも、実際には人々は病気にかかる確率を正確に知っているわけではありません。しかし、その確率についてまったく無知というわけではなく、病気になる確からしさの程度について、ある程度の知識を持っていると考えられます。以上の説明は、そのような場合の人々の行動を、確率を完全に把握しているという極端な場合を想定して考えて、それによって保険の機能を明らかにするという意義があります。

それでは、保険会社が保険を販売できるのはなぜでしょう?たとえば、30歳の健康な人があと40年生きるかどうかを予測することは非常に困難ですが、10万人の健康な30歳の人々のうち、あと40年生きる人々の比率は、大数の法則によってある一定の値になるといわれます。この場合、保険会社は保険料収入とそれを運用した利益とで、ほぼ一定の確率で起きる志望保険金を支払うために徴収すべき保険料を計算することができます。このように、個々人にとっては危険が大きくても、きわめて多数の人々の危険をまとめると、保険の対象になっている事象はほぼ確実にある一定の比率で起きることを予測できるようになります。これを、「リスクをプールする」といいます。リスクがプールされると、その危険は個々人にとっては危険であるが、社会全体にとっては確実にある一定比率で起きる事象でしかなくなるという意味で、危険ではなくなるのです。このように、ある被保険者に事故があったり、彼が死亡したりするときに支払われる保険金の原資は、同じ保険に加入しているほかの被保険者の保険料とその運用益ですから、保険とは被保険者間の相互扶助制度であると言えます。

しかし、保険会社は次のような場合には保険を販売することができません。まず第一に、ある事象がまれにしか起きないために、それがどのくらいの確率で起きるかを計算することが難しい場合です。このような例としては、戦争や原発事故などの保険が挙げられます。ただし、原発事故の場合には、保険金の上限を設けることによって民間保険が販売されています。第二に、不確かな事象がお互いにほぼ独立に起きるのではなく、同時に起きる場合です。たとえば、不況になると多くの人々が同時に失業するので、失業保険を販売すると一度に多額の保険金を支払わなければなりません。また、不況が起きる確率も正確に計算できません。そのため、民間保険会社は失業保険を販売できず、政府によって供給されているのです。

…さて、次回は今回のお話の続きで、モラルハザードと逆選択の2つの問題について書こうと思います。上で挙げたような場合に加えて、保険を供給できない重要な理由に「情報の非対称性」が挙げられます。情報の非対称性とは、需要者と供給者との間で取引される財やサービスに関する情報に差があることを言います。保険を例にとると、被保険者は自分がどの程度の確かさで損失を被るかを、保険会社よりもよく知っているということです。このような場合、どのような問題が起こるか、また、このような問題を回避する手段など、書いていく予定です♪

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