第41回:資源の分配A 2003年9月20日(土)

前回、「公共財」なるものの話をしました。公共財とは、「消費の非排除性」と「消費の非競合性」とを備えた財である、と説明しましたね。「消費の非排除性」を備えた財については、財を消費するための費用を消費者が負担しなくてもそれを消費できてしまうため、私的な経済主体が「消費の非排除性」を持つ財を消費することができません。これはすなわち、「公共財」を私的な経済主体が供給することができないことを意味しますね。

公共財は、消費の非排除性に加えて、消費の非競合性というもう1つの性質を持っています。上の図は、2人の個人から構成される社会の公共財の需要曲線を示したものです。曲線DAと曲線DBは、それぞれ個人Aと個人Bの公共財に対する需要曲線です。いま、公共財の供給量がX0であるとすると、このときの個人Aと個人Bの公共財Xに対する限界評価は、それぞれPAとPBです。Xは公共財ですから、個人AがX0を消費しても個人Bの消費は減らず、個人Aと同じようにX0を消費することができます。したがって、X0に対する社会全体の限界評価は、個人Aと個人Bの限界評価を合計したP0(=PA+PB)になります。上でX0について述べたことは、他のどの供給水準についても同様に妥当します。Xの全ての供給量に対する社会全体の限界評価を結んだものが、Xに対する社会全体の需要曲線です。したがって、社会全体の公共財に対する需要曲線は、全ての個人の需要曲線を垂直方向に合計したものになります。それに対して、今まで問題にしてきた競合財の社会全体の需要曲線は、個々人の需要曲線を垂直方向に合計して得られます。

さて、曲線MCはいま問題にしている公共財の社会的限界費用です。図では、供給量のどの水準でも限界費用と平均費用は一致し、一定であると仮定されています。社会的厚生が最大になる供給量は、社会全体の需要曲線Dと社会的限界費用曲線MCとが交わる点Eに対応するX0です。なぜなら、点EではXに対する社会全体の限界評価とXの社会的限界費用とが一致しているからです。

それでは、政府は最適な供給量がX0であることを、どのようにして知り得るでしょうか?もし個人Aと個人Bが、政府に公共財に対する自分たちの評価を正直に申告するならば、政府は両者の公共財に対する需要曲線DAとDBから曲線Dを導いて、それと曲線MCの交点とから最適な公共財の供給量を知り、個人Aには公共財1単位につきPAの、個人Bには同じくPBの負担をそれぞれ税負担として求めることができます。このとき、個人Aの税負担総額は(PA×X0)、個人Bの税負担総額は(PB×X0)になり、両者の合計は公共財の総費用である(P0×X0)に一致します。したがって、総費用の全てを税金でカバーできます。しかし、公共財については消費の排除性は成立しないので、公共財の供給と負担とが結びついて提案される限り、個人AもBもできるだけ自分の負担を軽くしようとして、公共財に対する自分たちの選好を正直に申告しようとはしません。具体的にいえば、国防や警察予算案が増税とともに提案されると、誰もが増税を嫌って予算を削減するほうに賛成するということです。その結果、公共財の供給は最適な水準から見て過小になってしまいます。

他方、公共財の供給量を税負担と切り離して決定する場合はどうでしょうか?この場合には、現行の税制から判断して、税負担は増えないと予想する消費者は、自らが負担しなければならない場合よりも過大な供給に賛成し、税負担が増えると予想する消費者は、自らの真の選好に比べて過小な供給に賛成する可能性があります。その結果、公共財の供給が過小になるか過大になるかは、政治における人々の力関係などさまざまな要因に依存することになります。

上では、公共財は非競合性という性質を持つ財であると説明しましたが、厳密に言うとこの性質は、公共財の供給能力と消費量との相対的な関係で決まるものです。警察サービスについても、警察官の数に対して人口が増加すれば犯人逮捕率が低下して、サービスの質は低下するでしょう。このようにして人口が増えて、負の便益(逮捕率の低下)が生ずるとき、「混雑現象が発生している」といいます。混雑現象に伴う負の便益は「混雑費用」と呼ばれます。そこで、混雑費用がゼロで、消費からの排除の費用が無限大であるような財を「純粋公共財」といいます(…が、厳密な意味での純粋公共財は存在しないと言えます)。

公共財の消費の非排除性と非競合性とは、その供給が全ての人々に外部経済を与えると解釈することができます。この意味での外部性は、私的に供給されている財についても存在し、市場の失敗の原因となっています。次回は、このような外部性を持つ財の供給についてお話しします。

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