第40回:資源の分配@ 2003年9月15日(月)

第29回の知識の泉で、完全競争市場とは最も効率的な市場形態であるということを書いたと思います。最も効率的、とは、すなわち社会的厚生が最大になるという意味ですが、社会的厚生が最大になる均衡点では、市場価格と限界費用とが一致しています。このことは、今までの知識の泉で何度も取り扱っている内容なのですが、ここで今一度、「価格と限界費用が等しい」ことの意味を考えてみようと思います。

例えば、完全競争市場における財Xの現在の供給量X1における価格がP1であるということは、市場供給量がX1であるときに、消費者たちが財Xの限界的な増加に対して支払ってもよいと考える価格がP1であるということです。すなわち、需要価格P1とは、供給量X1における、消費者たちの財Xに対する社会的限界評価を表しています。他方、財Xの生産量をX1から限界的に増やすためには、他の財の生産に投入することも可能な生産要素を、Xの生産に投入しなければなりません。したがって、この生産要素がXの生産に投入されるときには、他の財の生産と消費が犠牲にされています。この犠牲とは、Xの生産を限界的に増やすときの「限界機会費用」です。Xと他の財の市場がともに完全競争市場であって、かつ外部性が存在しなければ、完全競争市場に属する各企業の限界費用を水平方向に合計して得られる供給曲線は、社会的に見た限界機会費用曲線に一致します。

ここで、Xの供給をX1から限界的に増やすときの、限界機会費用がP2であるとします。P1>P2であるとすると、Xの消費をX1から限界的に増やすときの限界評価であるP1よりも、Xの供給をX1から限界的に増やすための限界機会費用のほうが低いことになります。このとき、社会全体では、Xの生産と消費をX1から限界的に増やすことによって、限界評価P1から限界機会費用P2を差し引いた(P1−P2)の利益が得られることになります。この利益は、Xの生産と消費をX1から限界的に増やすときの社会的厚生の増加に他なりません。

Xの生産と消費を増やしていくときに、このような社会的厚生の増加が消滅するのは、限界評価と限界機会費用とが一致する(すなわち、P1=P2)点になります。もしこのような点からさらに生産と消費を増やそうとすると、限界機会費用のほうが限界評価よりも大きくなるので、得られる限界的な社会的厚生はマイナスになってしまいます。このことから、社会的厚生が最大になるのは、限界評価と限界機会費用とが一致する点になることがわかります。そして、この条件を満たす点が、完全競争市場における均衡点というわけです。完全競争市場では、限界評価と限界(機会)費用とが乖離している限り、超過供給か超過需要のいずれかが生じて、価格がこの乖離を埋めるように調整されるのです。

さて、「効率的な資源配分」とは、価格が消費者たちの社会的な限界評価と、社会にとっての限界費用とを反映しているときに達成されます。したがって、価格がいずれか一方または双方に一致しない場合には、効率的な資源配分は実現されません。このとき、市場は「効率的な資源配分に失敗する」といいます。市場の失敗が生ずる原因として、「費用逓減産業」「外部性」「公共財」「不完全情報」の4つの要因が存在します。「費用逓減産業」とは、生産量を増やすにつれてその平均費用が逓減する産業のことで、自然独占の例がこれに当てはまります。「外部性」とは、ある活動の影響が、市場取引を通さずに各経済主体に及ぶことで、この辺のお話は第26・27回の炭素税の例が当てはまります。「不完全情報」は、財やサービスの品質や仕事の質に関して情報が充分得られないことを言い、「情報の非対称性」の例が当てはまります。そこで、今回はこの知識の泉でも初めて登場する「公共財」について書いてみようと思います。

まず、「公共財とは何か?」ということについてですが、例えば警察官は、犯罪の防止のためにパトロールして、犯罪が起きたときには犯人の逮捕に努力します。こうした警察官の活動を警察サービスといいますが、警察サービスの利益は警察サービスに対して対価を支払ったかどうかに関わらず、全ての人(犯罪者を除きますが。。)に及びます。言いかえると、対価を支払わなくても警察サービスを消費することから何人も排除されません。これを「消費の非排除性」といいます。それに対して、食物や衣服や住宅サービスなどは、対価を支払わなければ消費することはできません(ただし、これらが政府によって無料で支給される場合を除きます)。つまり、これらの財やサービスのついては、対価を支払わない人は消費から排除されるわけです。

警察サービスのもう1つの特徴は、ある人が警察サービスを消費したからといって、他の人が消費できる警察サービスの量が減少することはないという点です。言いかえれば、複数の人々が同時に警察サービスを消費できるということです。「警察サービスを消費する」とは、泥棒に入られたので警察官に家まで来てもらうといったことだけではなく、警察の活動一般によって日々、人名と財産が守られていることをいいます。すなわち、人々は意図的ではなく、知らず知らずのうちに警察サービスを消費しているのです。それに対して、食物や衣服や住宅サービスはある人がそれらを消費すれば、他の人はそれらを同時に消費することはできません。ある人が消費すると他の人はまったく消費できないか、消費できる量が減少するとき、「消費は競合する」といいます。そこで、今述べたような警察サービスの第2の特徴は、「消費の非競合性」といわれます。

消費の非排除性と、消費の非競合性を備えた財を、「公共財」といいます。警察サービスはその一例ですが、国防や外交サービス、消防サービスなども、これらの2つの性質を備えた公共財です。

国防サービスや警察サービスなどは、対価を支払わないものの消費を排除することは不可能であるか、可能であっても排除するための費用が排除することによって得られる利益を上回ってしまいます。あるいは、国防や警察などは、対価を支払わないものの消費を排除していたのでは、そもそもそれらのサービスを供給する目的を達成できません。例えば、一国のある地域の人達が国防費を負担しないからといって、その地域が他国から侵略されても侵略されるままにしておくのでは、国防費を負担しているほかの地域も防衛することはできません。このように消費の非排除性が存在する財については、消費者はまったく費用を負担しなくてもそれを消費できるので、その財の費用を負担しようとしなくなります。つまり、「ただ乗り」しようとするわけです。多くの人々がただ乗りしようとして、費用を負担しようとしないならば、私的な経済主体はその財を供給することができません。すなわち、市場は消費の非排除性を持つ財の供給に失敗するのです。

以上のような理由から、消費の非排除性という性質を持つ財は、政府が供給せざるを得ないのですが、それでは政府は公共財を効率的に供給することができるのでしょうか?その辺については、次回の知識の泉で書いていこうと思います〜♪

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